Daiji Kazumine
一峰 大二
一峰先生の生真面目さは漫画業界でも有名であった。
作画スタイルもラフ、下書きまで細部にまでこだわり、
時には下書きでもベタ部分(黒くぬるところ)を塗りこむほどであった。
1955年から1973年までの19年間は高度経済成長と呼ばれ
様々な技術革新が起こった。
漫画界では、手塚治虫先生を始めとして
石ノ森章太郎先生、藤子不二雄先生、赤塚不二夫先生、水木しげる先生、さいとう・たかを先生
などの名だたる漫画家たちが綺羅星のごとく現れ、一世を風靡していった。
当時の少年少女はこぞって漫画に飛びつき、次々と繰り広げられる物語のとりこになっていった。
漫画は鉄腕アトムのアニメ放送から特撮も合わせて漫画と連動しつつ一大ブームを巻き起こしていた。
恐ろしいことに当時、漫画家の住所など個人情報がファンレターのあて先として普通に雑誌の欄外に載せられており、ファンの子供たちがしばしば漫画家の仕事場を訪れ、サインを貰ったり、中には掲載済の生原稿をファンサービスの一環としてプレゼントされる子供も多かった。
一峰先生の原稿もそうした理由で現存してはいるものの、コマ単位で欠損していたり一部が紛失したりしている。
良くも悪くもおおらかな時代であった。
スペクトルマンは1971年から1972年にかけてフジテレビで放送された特撮ヒーローである。
企画製作はピープロダクション。
その創業者であるうしおそうじ先生が原作。
この作品以来、一峰先生はうしおそうじ作品を次々とコミカライズし黄金期を築く。
中でもスペクトルマンはその人気の高さもさることながら、一峰先生にとっても特に愛した作品であった。
一峰版スペクトルマンは1971年から秋田書店の週刊少年チャンピオンと冒険王、また講談社の
楽しい幼稚園などに連載されている。
当時の一峰先生は多忙を極め、テレビで放送されるスペクトルマンを見る暇もなかったため、後年スタッフたちがカラオケなどで歌う主題歌を聞いて、そんなかっこいい曲だったんですねと苦笑いしたエピソードが残されている。
本年、スペクトルマンは生誕50周年を記念して一峰大二先生とうしおそうじ先生/ピープロダクションの世界を今回アートギャラリー光臨オープン記念の特別展として貴重な生原稿などをデジタル上ではありますが、ご鑑賞いただければ幸いです。
スペクトルマン
怪傑ライオン丸
風雲ライオン丸
鉄人タイガーセブン
電人ザボーガー
一峰先生を漫画界の父と呼ぶ漫画家は多い
「少年」「冒険王」に始まりすべての出版社で様々な連載をされていた一峰先生の作品にふれ、その後長じて漫画家になった人間は一峰作品に対し皆、なにがしかの原風景を持つのではないだろうか。
一峰先生は1935年12月19日、東京は荒川区で誕生。
実家は酒屋さんで物心がつく頃から家族の目を盗んで倉庫のお酒を盗み飲みしていたという。
長じて漫画家になると心に決めるも父母の大反対にあい勘当されるがそのまま家を飛び出し漫画家の道を歩む。
絵物語作家の岡友彦先生に師事をするも生活は苦しく、実兄がこっそりと一峰先生の下宿を訪ねてきては差し入れをしてくれ、それでなんとか食いつないでいたという。
(ちなみに桑田次郎先生は同門の兄弟子にあたる)
1956年一峰先生は「からくり屋敷の秘密」でデビュー。
それから65年に及ぶ漫画家生活がスタートする。
その作品数は膨大であり、コミカライズ作品はもちろん、手掛けたジャンルはギャグマンガから時代劇、ホラーにミステリ、ファンタジーからSF作品、絵本、スポーツものなどその他、枚挙にいとまがない。
特に1960年代に「少年」で連載が始まった「電人アロー」は鉄腕アトム、鉄人28号に続いて三本目のSF作品として描かれ前者二作と差別化するようにサイボーグという当時まだ真新しかった概念を主人公にし、科学的な考証をロジカルに展開しつつ子供にもわかるような創意工夫が至る所に散見できる。
「僕はいろいろ考えることが好きでね」
と一峰先生は漫画の話になるとよく、そう話されていた。
現に2017年に約半世紀を超えて描かれた新作、「電人アロー」を発表された時も原子力で稼働していたという設定を、落雷を一瞬で蓄電する「超電動動力システム」に変え、体の表面も鉄の10倍の高度である炭素繊維におり、弱い80歳を超え、パソコンでのネット検索などではなく昔ながらの取材、本やテレビ、映画などから得た知識とご本人の想像力だけで作られたということは驚きにも値する。
そうした日々の鍛錬は亡くなる直前まで続き、新作の忍者漫画のアイデアなどもお酒の席で披露されていたりした。
一峰先生は日本酒をこよなく愛された。
後年スタッフや漫画家の後輩などが先生の邸宅に呼ばれ共にお酒を酌み交わし漫画談義に花を咲かせた。先生はそれをとても楽しみにして下さり。
時には先生の自宅の庭先でバーベキューなどもよく開催されていた。
漫画をこよなく愛し漫画とともに生きた一峰先生。
今はきっと天国でも今生では絶筆となってしまった電人アローの続きを書かれているに違いない。