Daiji Kazumine

一峰 大二

コミカライズにかけて日本・・・

いや世界にも類を見ない
唯一無二の作家であり

その作品の数はあまりにも
膨大である

第一幕 その始まり

「からくり屋敷の秘密」(デビュー作)

1956年

「少年:痛快漫画ブック(光文社)」

夏の大増刊号付録B5判

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「大江戸龍虎丸」

1957年

描きおろし単行本

(金園社)A5判上製

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「野球横町」

1958年

「野球少年(芙蓉書房)」

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「ト伝くん」

1959年

「冒険王(秋田書店)」

1960年 フジテレビで放映肉筆

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「七色仮面」

1959年

「原作・川内康範」

「ぼくら(講談社)」肉筆

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「白馬童子」

1960年

「原作・巌竜司」

「冒険王(秋田書店)」

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「どんがらがん坊」

1960年

「ぼくら(講談社)」肉筆

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「ナショナルキッド」

1960年

「原作・貴瀬川実」

「ぼくら(講談社)」肉筆

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「鉄腕マキ」

1961年

「まんが王(秋田書店)」

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「0戦NO1」

1963年

「まんが王(秋田書店)」

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「黒い秘密兵器」

1963年

「原作。福本和也」

「少年マガジン(講談社)」

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「黄金バット」

1966年

「原作・加太こうじ」

「少年キング(少年画報社)」肉筆

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「閃光マック」

1966年

「少年(光文社)」肉筆

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「ミサイルマン マミー」

1966年

「原作・久米みのる」

「少年マガジン(講談社)」肉筆サイン色紙

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「どろんこエース」

1966年

「少年画報(少年画報社)」

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「一発カン太」

1968年

「小学4年生(小学館)」

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「キングZ」

1970年

「小学4年生(小学館)」

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第二幕 作画の裏側

一峰先生の生真面目さは漫画業界でも有名であった。
作画スタイルもラフ、下書きまで細部にまでこだわり、
時には下書きでもベタ部分(黒くぬるところ)を塗りこむほどであった。

イナズマン

イナズマン(1973年 石ノ森章太郎先生)のコミカライズ作品背景にとけこむイナズマンの習作(右)と完成版(左)

七色仮面

1959年

「原作・川内康範」

「ぼくら(講談社)」

黒い秘密兵器

1963年

「原作。福本和也」

「少年マガジン(講談社)」

どろんこエース

1966年

「少年画報(少年画報社)」

キングZ

1970年

「小学4年生(小学館)」

一峰大二の生きた昭和の時代

1955年から1973年までの19年間は高度経済成長と呼ばれ
様々な技術革新が起こった。

 

 

漫画界では、手塚治虫先生を始めとして
石ノ森章太郎先生、藤子不二雄先生、赤塚不二夫先生、水木しげる先生、さいとう・たかを先生
などの名だたる漫画家たちが綺羅星のごとく現れ、一世を風靡していった。

 

 

当時の少年少女はこぞって漫画に飛びつき、次々と繰り広げられる物語のとりこになっていった。
漫画は鉄腕アトムのアニメ放送から特撮も合わせて漫画と連動しつつ一大ブームを巻き起こしていた。

 

 

恐ろしいことに当時、漫画家の住所など個人情報がファンレターのあて先として普通に雑誌の欄外に載せられており、ファンの子供たちがしばしば漫画家の仕事場を訪れ、サインを貰ったり、中には掲載済の生原稿をファンサービスの一環としてプレゼントされる子供も多かった。

 

 

一峰先生の原稿もそうした理由で現存してはいるものの、コマ単位で欠損していたり一部が紛失したりしている。

良くも悪くもおおらかな時代であった。

第三幕 スペクトルマン そして・・・

スペクトルマンは1971年から1972年にかけてフジテレビで放送された特撮ヒーローである。
企画製作はピープロダクション。


その創業者であるうしおそうじ先生が原作。
この作品以来、一峰先生はうしおそうじ作品を次々とコミカライズし黄金期を築く。


中でもスペクトルマンはその人気の高さもさることながら、一峰先生にとっても特に愛した作品であった。
一峰版スペクトルマンは1971年から秋田書店の週刊少年チャンピオンと冒険王、また講談社の
楽しい幼稚園などに連載されている。


当時の一峰先生は多忙を極め、テレビで放送されるスペクトルマンを見る暇もなかったため、後年スタッフたちがカラオケなどで歌う主題歌を聞いて、そんなかっこいい曲だったんですねと苦笑いしたエピソードが残されている。


本年、スペクトルマンは生誕50周年を記念して一峰大二先生とうしおそうじ先生/ピープロダクションの世界を今回アートギャラリー光臨オープン記念の特別展として貴重な生原稿などをデジタル上ではありますが、ご鑑賞いただければ幸いです。

スペクトルマン

一峰大二先生の画法としてエアーブラシによる着色は有名である。
昨今のデジタル処理では表せない、いわば職人技とも言える作品作りは一峰作品にとってなくてはならないものである。

めずらしいスペクトルマンの解制図。
内部のメカニックは古き昭和の懐かしいデザイン。
ネビュラの星に変身を要請する有名なポーズでダイナミックに描写されている

エアーブラシによるサイン色紙3点

 

―峰先生のお気に入りのスペクトルマンのポーズにそれぞれ別の背景が描かれている。

 

一峰先生はサイン色紙すら一切の手を抜かず完成されたそれは一枚の美術品に匹敵する。

蒲生譲二

スペクトルマン

ゴリとラー

オールキャストの見開キャラページ

冒険王のスペクトルマン
使用不明
要調査

スペクトルマン

ヘドロ怪獣へドロンより
ラー初登場シーン

化石怪獣ガレロンより
ゴリ博士の演説シーン
テレビ版とは違いラー博士の豪快な笑いが描かれている

ゴミ怪獣 ダストマンより
蒲生譲二の変身シーン
スペクトルマンが連載された1971~1972年は

深刻な公害問題があり、このスペクトルマンの中にも
公害Gメンなる組織が登場
当時はこの変身を真似して空に浮かぶネビュラの星に変身を願い出る子供たちがいたるところで目にされた。

 

隕石怪獣サタンキングより
サタンキング(右)とマグラー(左)の両面攻撃に苦しめられるスペクトルマン
戦闘シーンの描写は時に血しぶきの演出もありハードな画面作りとなっている。
ちなみにこの回ではスペクトルガンという新兵器が初登場する

ドリル怪獣ギラギンドと
他天体怪獣スリウ星人より

一峰作品において
ウルトラマンをはじめスペクトルマンなどには瞳が描かれている。

こうすることはよってヒーローたちは人間味を増し目線を獲得することによって漫画的効果が得られる。


そうしたことからも一峰先生の苦心がうかがえる。

 

さよならスペクトルマン
ゴリ博士の最後

月世界怪獣ムーンサンダーより
最終ぺージ全体をつかってゴリ博士のドアップ。

漫画史上においてもこのダイナミックな演出は一峰先生の卓抜した構成力を見せ付ける

当時のカラー生原画。50年という歳月の重みを感じる一枚。
一峰作品はこのスペクトルマンのように独特のポージングで知られる。
これは師、岡友彦先生の教えで歌舞伎の「見栄」を教えられたことに由来する。

 

一峰先生がまだ修業時代。深夜、岡先生と二人で街へ出ては、背広の内ポケットにモデルガンを忍ばせ、どのようにすれば格好がいい撃ち方になるかとポージングの練習をしていたという説話が残されている。

怪傑ライオン丸

1972年から1973年までフジテレビで放送。一峰版の漫画は放送直後から秋田書店、冒険王で連載。


一峰先生はライオン丸に眉を黒々と描くことでその表情を豊かにした。これはウルトラマンやスペクトルマンの目や口をアレンジした手法と同じ方法論だった。

後年になり描かれたライオン丸のカラー色紙


一峰先生は昔のイメージを覚えてくれているファンが少しでも喜んでもらえるように当時と同じ構図でサインイラストを描くようにされていた。

連載当時の生原稿。眉の描き方の違いに注目
躍動感あふれる変身ポーズ。

珍しいタイガージョーが前面に出た色紙イラスト。
一峰先生は色紙を描く際、タイトルロゴもきっちりと描かれることが多い。
そして、原作者のうしお先生の名前を入れることを決して忘れることはなかった。
先生の生真面目な一面がそうしたところからも伺うことができる。

風雲ライオン丸

風雲ライオン丸


1973年4月から同年9月までフジテレビで放送。
一峰版の漫画はテレビ放送と同時に秋田書店、冒険王にて連載。

一峰版漫画ではマントル一族の忍者ザグロに兜を割られてからは、怪傑ライオン丸と同じくたてがみ姿で最後まで描かれている。カラー原画以外、体色は茶色ではなく白で表現されている。

珍しい風雲ライオン丸の

絵馬

絵馬を描いた時の下書きに見えるが、これは別テイクである。
このように何枚も下絵を描き気に入ったものだけをトレースして描く作業は一峰先生の几帳面さを表している。

一峰作品らしい、大胆な構図と色使いの変身シーン。

風雲 ライオン丸(カラー)

風雲ライオン丸(白黒)
一峰先生はきっちりと下書きを取り、それをトレースしてカラー、白黒作品と2枚描かれることがある。
こちらの2枚はまさにその典型的なパターンだが、よく見ると微妙に線のタッチが変わっているのがわかる。 

鉄人タイガーセブン

1973年から1974年。フジテレビで放送。
一峰版の漫画は秋田書店、「別冊冒険王映画テレビマガジン」に連載。

タイガーセブン下書き

後年、スタッフがタイガーセブンの話を先生に訪ねたところ、「俺描いてたそれ?あの頃は本当に忙しくて、今思い出しても描いた覚えがない漫画がいくつもあるんだよ」
と言って頭を搔いたというエピソードが残されている

タイガーセブン下書き

電人ザボーガー

電人ザボーガーは1974年から1975年までフジテレビで放送。
一峰版の漫画は秋田書店、冒険王で放送とほぼ同時に連載されている。

電人ザボーガーとストロングザボーガー
珍しいザボーガーとストロングの2ショット
本来ストロングザボーガーはザボーガーのいわゆるバージョンアップであり、同時に2体存在はしないが、ファンにとってはたまらない作品

電人ザボーガーのもう一人の主人公、大門豊は幼いころに父によって埋め込まれた電極回路によって発生する「怒りの電流」でザボーガーを起動させる。
後年、一峰先生もペースメーカー手術をされており、「アローとか大門みたいなんだよ」とよく冗談交じりに話されていた。

一峰先生が描く怪獣やロボットは黒い部分(ベタ)が多く、カケアミ(細かな線を掛け合わせて描く画法)などで時にはおどろおどろしく、また重厚に描かれている。

これらの手法も一峰作品の醍醐味の一つだった。

一峰先生を漫画界の父と呼ぶ漫画家は多い

「少年」「冒険王」に始まりすべての出版社で様々な連載をされていた一峰先生の作品にふれ、その後長じて漫画家になった人間は一峰作品に対し皆、なにがしかの原風景を持つのではないだろうか。

 

一峰先生は1935年12月19日、東京は荒川区で誕生。
実家は酒屋さんで物心がつく頃から家族の目を盗んで倉庫のお酒を盗み飲みしていたという。
長じて漫画家になると心に決めるも父母の大反対にあい勘当されるがそのまま家を飛び出し漫画家の道を歩む。

 

絵物語作家の岡友彦先生に師事をするも生活は苦しく、実兄がこっそりと一峰先生の下宿を訪ねてきては差し入れをしてくれ、それでなんとか食いつないでいたという。
(ちなみに桑田次郎先生は同門の兄弟子にあたる)

 

1956年一峰先生は「からくり屋敷の秘密」でデビュー。

それから65年に及ぶ漫画家生活がスタートする。
その作品数は膨大であり、コミカライズ作品はもちろん、手掛けたジャンルはギャグマンガから時代劇、ホラーにミステリ、ファンタジーからSF作品、絵本、スポーツものなどその他、枚挙にいとまがない。

 

特に1960年代に「少年」で連載が始まった「電人アロー」は鉄腕アトム、鉄人28号に続いて三本目のSF作品として描かれ前者二作と差別化するようにサイボーグという当時まだ真新しかった概念を主人公にし、科学的な考証をロジカルに展開しつつ子供にもわかるような創意工夫が至る所に散見できる。

 

「僕はいろいろ考えることが好きでね」

 

と一峰先生は漫画の話になるとよく、そう話されていた。

現に2017年に約半世紀を超えて描かれた新作、「電人アロー」を発表された時も原子力で稼働していたという設定を、落雷を一瞬で蓄電する「超電動動力システム」に変え、体の表面も鉄の10倍の高度である炭素繊維におり、弱い80歳を超え、パソコンでのネット検索などではなく昔ながらの取材、本やテレビ、映画などから得た知識とご本人の想像力だけで作られたということは驚きにも値する。

 

そうした日々の鍛錬は亡くなる直前まで続き、新作の忍者漫画のアイデアなどもお酒の席で披露されていたりした。

 

一峰先生は日本酒をこよなく愛された。
後年スタッフや漫画家の後輩などが先生の邸宅に呼ばれ共にお酒を酌み交わし漫画談義に花を咲かせた。先生はそれをとても楽しみにして下さり。
時には先生の自宅の庭先でバーベキューなどもよく開催されていた。

 

漫画をこよなく愛し漫画とともに生きた一峰先生。


今はきっと天国でも今生では絶筆となってしまった電人アローの続きを書かれているに違いない。

一峰大二単行本リスト