2022/05/09 Mon

【館長ブログ】絵具のしたたり(05)

鎌倉殿の13人と落語とカレー

三谷幸喜氏の原作『鎌倉殿の13人』が面白い。

 

 

 

大河ファンの私は毎週欠かさずに見ている。

 

主人公をあえて源頼朝にせず、北条義時に視点を据え、その目線で鎌倉幕府成立と、その後を眺めていく手法も斬新だし、型にはまらない現代語風のセリフ回しも私の中では全く気にならない。

 

 

 

手前みそになるが、実は私も源頼朝を漫画で描いたことがある。


集英社の『その時歴史が動いた』コミック版の日本史ヒーロー編で、今でも電子書籍で読むことが出来る。

 

 

 

話を元に戻そう・・・

 

 

頼朝は義経人気に押されて、あまり作品で主役にはされにくい人物だが、日本初の武家政権を切り開き、歴史に欠かせない重要な役割を担った。

 


なにせ鎌倉幕府以降、およそ700年にわたって武士の世を花開かせていく礎になった”人物”なのだからエピソードには困らない。

 

その人生を追っていくだけで十分すぎるほどのドラマや漫画がいくらでも作れるのである。

 

 

 

とは言いながら。ここで私はふと思う。

 

 

 

頼朝はもちろん、信長にしろ龍馬にしろ、視聴者たちは彼らの人生を先に理解した上で見ていると言っても過言ではない思う。

 

 

つまりクライマックスやオチは最初から分かって見ているのだ。

 

 

本能寺の信長の自刃であったり、近江屋での龍馬暗殺シーンなどのいわゆる”名シーン”は、現在まで何度も何度も繰り返し作られてきたストーリーで、それはいわゆる”タイムスリップ”ものであろうが、”ファンタジー”であろうが必ず通らなければいけないとされる重要なシーンであり、それらが割愛された物語などほぼあり得ない。

 


そう考えた場合。

実は。これ落語に関しても同じことが言えるのだ。

 

 

『饅頭怖い』『芝浜』『火炎太鼓』などの噺が今までに、どのくらい高座にかけられたのか。

 


多分、万の単位を下ることはないだろう。

 


そして、大河同様、ストーリーもほぼ確定しており、登場人物もオチも基本は同じである。

 

しかし。

 

歴史大河と落語。

 

どちらもストーリーは周知の事実ながら、演じる役者や、噺家、脚本などによってその面白さが天と地ほども差がでるという事実。

 

逆を言えば視聴者たちは、話の筋そのものをすべて知った上で物語に面と向かうわけであるから、作家なり演者なりの技量が如実に表れるという結果になる。

 

これは作り手にとってかなり勇気のいることなのである。

 

信長が10人いれば10人分の信長像があり、それが面白さという点に関して如実に優劣が付くなどという事は作り手自身の責任であり、信長の責任では決してない。

と・・・

 


ここまで書いた時に台所からおいしそうなカレーの匂いがしてきた。

 

 

 

そこで私はふと気づいた。

 

 

 

 

「ふむ、夕飯に出てくる今夜の主役はカレーだと私がわかってるその上で、いつもおいしいカレーを出してくれる家人の技量は、もしかして大変なものなのかもしれない」と。

 


まさか家人はもとより、頼朝公も800年ほど未来に自分と落語とカレーを一緒くたにされて、文章にされるとは夢にも思わなかったであろう、と

 

文章を書いてる私自身も驚いている。

 


ただ、最終的に何が言いたいかというと・・・

 

 

 


歴史ものに関して、マンガなり、ドラマ、映画をご覧になった夜は『是非カレーを召し上がっていただきたい』という事である。

 

 

 

作り手(クリエィター)達の苦心と挑戦と努力に理解が深まり。きっと素晴らしい晩餐になることをお約束しよう。

 

 

光臨アートギャラリー初代館長
佐佐木あつし